陽子自身が人を信じることと、人が陽子を裏切ることは何の関係もないはずだ。陽子自身が優しいことと他者が陽子に優しいことは、何の関係もないはずなのに。
独りで独りで、この広い世界にたった独りで、助けてくれる人も、慰めてくれる人も、誰一人としていなくても。それでも陽子が他者を信じず卑怯に振る舞い、見捨てて逃げ、ましてや他者を害することの理由になどなるはずがないのに。
『月の影 影の海 十二国記』下巻
『月の影 影の海 十二国記』下巻とは
『月の影 影の海』下巻は、上巻に続き、中嶋陽子が主人公の物語となっています。
元の世界では、人の顔色ばかり窺って、人の意見に合わせるだけの陽子。十二国の世界に連れ去られてからは、悲惨な目に遭い、人を信じることができなくなった陽子。そんな陽子が、ある出来事をきっかけに、これまでの自分自身を見つめ直し、「変わりたい」「強くなりたい」と心の底から願うようになる、陽子の成長する姿が見られます。
また、陽子の成長に合わせるかのように、これまで何も分からず先の見えなかった陽子の目の前の扉が、次々と開いていきます。上巻では明かされなかった数々の謎が、疾走感をもって明らかになる展開は、読んでいてとても爽快です。
そして、最後に、陽子の人生をかけた「決断」が下されます。この『月の影 影の海 』下巻は、『月の影 影の海 』として最後の物語であるのと同時に、陽子の始まりの物語でもあります。
筆者は、読後、高揚感と爽快感に包まれ、この先の物語が気になって仕方ありませんでした!
本記事では、『月の影 影の海』下巻のあらすじ、おもしろいポイント(完全に主観です)、「十二国記」30周年記念ガイドブックにおける小野 不由美さん(「十二国記」シリーズの著者)のインタビューについてお話します。
『月の影 影の海 十二国記』下巻のあらすじ
登場人物
主な登場人物は、『月の影 影の海』上巻に引き続き、高校生の中嶋陽子(なかじま ようこ)と謎の男 景麒(ケイキ)、そして下巻で初めて登場する楽俊(ラクシュン)です。
楽俊は、2021年に「十二国記」30周年記念として開催された『あなたが好きなキャラクター投票』で、なんと1位を獲得したキャラクターです。聡明で優しく、時には厳しく、たまに見せる「照れ」が愛おしい楽俊。たくさんの読者に愛されるのも頷けます。
あらすじ
異世界に連れて来られた高校生の中嶋 陽子は、妖魔(獣)に襲われても、人に裏切られても、必ず生き延びて元いた世界に帰ることを諦めなかった。しかし、何度目かの妖魔の襲撃を切り抜けた後、ついに陽子は動くことができなくなってしまった。
そんな陽子の前に現れたのは、二本肢で立つネズミの「楽俊( ラクシュン)」だった。楽俊は、陽子が逃亡中の海客(海の東の方から来た人・カイキャク)であることを知ってもなお、陽子を匿い、看病してくれたのだ。
人に騙され、裏切られてきたことで、人を信じることが怖くなった陽子は、楽俊を信用することができなかった。それでも楽俊は、陽子にこちらの世界の話を聞かせてくれて、これから行くべき場所を提案してくれた。そこは、海客が追われることなく、他の人間と同じように暮らせる国 — 雁国(雁州国)。楽俊は、雁国まで陽子を案内してくれるという。そして、楽俊と陽子の旅が始まった。
楽俊との出会い、雁国への旅をとおして、陽子は「人を信じること」がどういうことかを知った。そして、雁国で衝撃の事実が陽子を待ち受けていた。
『月の影 影の海 十二国記』下巻 ここがおもしろい!
『月の影 影の海』上巻では、陽子に関することが何も明らかにならない中、懸命に一日一日を生き抜く陽子の姿に感銘を受けるとともに、やるせなさも感じました。どうしてこんな世界に連れて来られたのか、どうして景麒は陽子を助けに来ないのか。下巻では、真実が次々と明らかになり、その展開に目を奪われます。
また、楽俊との出会いもおもしろいポイントです。この出会いが、陽子の運命を変えたといっても過言ではないでしょう。
本記事では、「FAVE POINT」と題して、読んでおもしろかった2つのポイントをピックアップしてみました。
- 明らかになる衝撃の真実
- 楽俊との出会い
FAVE POINT 1
明らかになる衝撃の真実『月の影 影の海』上巻では、十二国の世界の一部が明らかになりました。その一方で、陽子を取り巻く謎は深まるばかり…。陽子は、分からないことばかりで困惑し、不条理さに憤りを感じていたことでしょう。
下巻では、その数々の謎がようやく明らかになります。残念ながらネタバレになってしまうため、本記事で真実を書くことはできませんが、陽子にとっても、おそらく読者にとっても衝撃的です。
これまでに、どのようなナゾがあったのか整理してみました。
ナゾ 1
陽子を異世界に連れて来たのは何故?陽子をいちばん困惑させたのは、どうして自分がこちらの世界に連れて来られたのか、その理由が何一つ分からないことでした。いつもと同じように学校に行き、いつもと同じように学校で過ごし、いつもと変わらない一日だったはずなのに。突然知らない男が現れ、見たこともない妖魔に襲われ、生まれて初めて戦い、何の説明もないまま知らない世界に連れて来られた。こちらの世界に着いた後も妖魔に襲われる日々は続き、陽子は助けに来ない景麒のことを疑うようにさえなりました。
陽子はなぜこちらの世界に連れて来られたのか、楽俊との出会いをきっかけに徐々に明らかになっていきます。
ナゾ 2
景麒は何者?「ナゾ1」と深く関係のある謎 — 景麒は何者?
景麒について陽子が分かっていることと言えば、「ケイキ」という名前、金色の長い髪・着物のような服などの外見、居丈高な物言いをすること、そして陽子の前から姿を消してしまったということ。景麒の正体につながるような肝心なことは何も分かりません。しかし、景麒が何者であろうと、陽子にとっては、元いた世界に帰る方法を知っているかもしれない唯一の希望でした。
陽子を苦しませている根源であり、陽子を生かした一筋の光でもあった景麒。果たして、その正体とは。
ナゾ 3
陽子が妖魔に狙われるのは何故?こちらの世界に来て、こちらの人と話をして分かったこと。それは、妖魔が人を襲ったり、山や人里に現れたりするのは珍しいということ。ましてや特定の人を狙って、陽子の元いた世界に行くなどあり得ないということでした。しかし、陽子が山にいようと街にいようと、場所に関係なく妖魔はいつも襲ってきました。では、なぜ妖魔は陽子を狙い、襲ってくるのでしょうか。そこには、陽子には知り得ない謀略がありました。
ナゾ 4
いつも陽子が軽傷で済むのは何故?元いた世界で、妖魔の襲撃により学校の窓ガラスが砕け散ったとき。松の枝を折りながら巧国の海岸に墜落したとき。役所へ連れて行かれる途中の林の中で妖魔に襲われたとき。いつも陽子は軽傷で済んでいます。近くにいた人間は、大怪我を負ったり亡くなったりしているにもかかわらず。これは一体どういうことなのでしょうか。ある出来事を境に、陽子は怪我をしにくい体になっていたのです。
ナゾ 5
景麒が渡してくれたのは、どのような剣?妖魔と戦うために、景麒が陽子に渡した剣。妖魔を切っても切っても切っても、刃こぼれさえしない剣。決して失くしてはいけないと言われ、いつも陽子とともに在った剣。この剣には、いくつかの秘密がありました。陽子が元いた世界で見続けていた 妖魔が駆けてくる夢や、こちらの世界で見たあちらの世界の映像、きゃらきゃらと不気味な声で笑う猿、これらすべてが剣にまつわるものでした。陽子は、剣の真の姿を雁国で見ることとなります。
ナゾ 6
異世界に来て、陽子の姿形が変わってしまったのは何故?巧国に流れ着き、牢獄のような場所に囚われていたとき、陽子は自分の髪の毛の色が変わっていることに気付きました。元の世界にいたときでさえ赤かった髪の毛が、異常なまでに赤い「真紅」になっていたのです。制服に入っていた手鏡で自分の顔を見てみると、そこに映っていたのは、陽に灼けたような肌と深い緑色に変色した瞳。陽子ではなく、他人でした。
どうして陽子の髪・肌・瞳は変色してしまったのでしょうか。これには、陽子の出自が関係していました。
ナゾ 7
陽子が異世界の言葉を理解できるのは何故?巧国の拓丘という街の宿で出会った海客の老人は、慶国に流れ着いてからずっと言葉が理解できず、仕事を見つけることが難しいと話してくれました。
また、雁国の芳陵という街で先生をしている海客も、こちらの世界に来た当初は言葉が分からず、初歩的な中国語も通じず、何年も筆談で話していたといいます。他の海客も同じように、言葉に苦労しなかった人はいないそうです。
しかし、陽子はこちらの世界に来てから、言葉で苦労したことは一度もありません。ずっとひとつの言葉を話し、ひとつの言葉しか聞いていません。特殊な単語以外は、すべて日本語だと思っていたのです。
陽子が話す言葉は、日本から来た海客には日本語に聞こえ、こちらの世界の人にはこちらの世界の言葉として聞こえる。どうしてこのような現象が起きるのでしょうか。
ナゾ 8
金色の髪の女とオウムは何者?陽子が流れ着いた巧国で、役所に連れて行かれる途中、馬車から見えた長い金色の髪、白い顔、裾の長い着物のような服。その姿を見たとき、陽子は景麒だと思っていました。しかし、はじめて間近で見たその姿は、鮮やかな色の着物を着た金髪の似合う女だったのです。
女は、涙が浮かぶ目で陽子を見つめ、陽子が殺した妖魔の首を膝に抱き、毛並みを撫でていました。そして、その女の肩には、一羽の色鮮やかな大きなオウム。「コロセ」「トドメヲサセ」。そう言って、オウムは喉の奥から日本刀のような刀を吐き出しました。女は陽子を殺すことを拒み、陽子の右手に刀を突き刺しました。
なぜオウムは陽子を殺せと言うのか、なぜ女は陽子に止めを刺すことを拒んだのか、なぜ陽子を見て涙を流したのか。
ナゾ 9
青い珠が傷を癒し、痛みを和らげるのは何故?こちらの世界に連れ去られるときに渡された剣には、青い珠が紐で結び付けられていました。これを握ることで、寒さや痛みが和らぎ、傷の治りを早めてくれる効果があるようです。
何度も何度も陽子を助けてくれたこの珠について、『月の影 影の海』上巻では、「剣も珠も秘蔵の宝重」とあります。剣については、下巻で詳しく知ることができるのですが、珠については明らかになっていないようです(筆者が見逃している可能性は否定できませんが…)。この珠、どういった背景を持つのでしょうか。ご存知の方がいらっしゃいましたら、こっそりと教えてください。
FAVE POINT 2
楽俊との出会い道で行き倒れていた陽子の前に現れたネズミ、それが「楽俊」との出会い。楽俊は、動くことのできない陽子を家に連れて帰り、傷の手当てや看病をしてくれました。しかし、人に裏切られて傷ついていた陽子は、人のように話し、人のように暮らしている楽俊のことを信用することができませんでした。人は利用するか、利用されるか。陽子は、体力が回復するまで楽俊のことを利用しようと考えていました。
そんな中、楽俊は、雁国に行くことを陽子にすすめ、二人は雁国まで一緒に旅をすることになりました。しかし、ある街で妖魔の襲撃に遭い、戦いを終えた後、陽子は楽俊が道に倒れていることに気づきました。楽俊を助けに行こうともしましたが、行けば自分が捕まる可能性がある。陽子は自分を守るために楽俊を見捨ててしまったのです。
これで良かったのだと思う浅ましく卑怯な自分。
自分の命さえあれば他人を見捨ててもいいのかと非道な行いを非難する自分。
二人の自分の間で葛藤する陽子。その葛藤の末、陽子は「自分が人を信じること」と「人が自分を裏切ること」は何の関係もないのだということに気づきました。
裏切られてもいいんだ。裏切った相手が卑怯になるだけで、わたしの何が傷つくわけでもない。裏切って卑怯者になるよりずっといい。
『月の影 影の海 十二国記』下巻
世界も他人も関係がない。胸を張って生きることができるように、強くなりたい。
『月の影 影の海 十二国記』下巻
その後、雁国の港に到着した陽子を待っていたのは、楽俊でした。
楽俊は、自分を見捨てた陽子に言いました。「逃げて良かったんだ」「無事でよかった」と。
裏切った自分のことは構わなければいいのにと言う陽子に対して、楽俊はこんなことを言いました。
そんなのおいらの勝手だ。おいらは陽子に信じてもらいたかった。だから信じてもらえりゃ嬉しいし、信じてもらえなかったら寂しい。それはおいらの問題。おいらを信じるのも信じないのも陽子の勝手だ。おいらを信じて陽子は得をするかもしれねえし、損をするかもしれねえ。けれどそれは陽子の問題だな
『月の影 影の海 十二国記』下巻
自分自身のことをよく理解し、自分が信じる自分でいることの「強さ」。楽俊は、陽子が葛藤の末に欲しいと願ったその強さをすでに持っていたのですね。
人に裏切られれば誰しも傷つき、ときには偏屈になることもあるかもしれません。それでも、陽子は、自分が裏切られたからといって、自分が人を裏切っていい理由にはならないと言っています。相手に左右されない自分でいることは、ごく単純なようで、とても難しいことのように感じます。
『月の影 影の海 十二国記』下巻 小野 不由美さんのインタビュー
今回の作品について、小野 不由美さんのインタビューで明かされたエピソードを少しだけお話したいと思います。
小野 不由美さんのロングインタビューは、2022年に発売された「十二国記」30周年記念ガイドブックに掲載されていますので、興味のある方はそちらもご覧ください。
- 楽俊の人気
「十二国記」30周年記念として開催された『あなたが好きなキャラクター投票』で1位を獲得した楽俊について、キャラクターの人気もあるけれど、山田章博さんのイラストの魅力が大きく、山田さんが描く楽俊を「かわいい」と感じていらっしゃるようです。
まとめ
『月の影 影の海』上巻は、「なぜ?」「どうして?」という疑問と、陽子の先行きを案じる不安感で、読後はすっきりとしない気持ちのままでした。しかし、下巻ではその伏線が見事に回収され、爽快感さえ感じられます。また、「人を信じることとは何か」という問いをとおして、これまでの自分自身を見つめ直し、自分の浅ましさや愚かさ、そして怠惰な生き方を変えたいと決意する陽子の姿に胸を打たれる作品です。
陽子の物語は、『月の影 影の海』下巻で一旦終わりとなりますが、その先が気になる方は、Episode 4『風の万里 黎明の空』で、さらに成長を続ける陽子にまた会うことができますよ。
作品概要
著者/作家 | 小野 不由美(おの ふゆみ) |
出版社 | 新潮社 |
フォーマット | ソフトカバー、267ページ |
電子書籍 | なし(2023.5 現在) |
シリーズ | 十二国記 |
カテゴリー | ファンタジー |
著者/作家
- 大分県中津市生まれ
- 配偶者:綾辻 行人(ミステリ作家)
- 大谷大学在学中に京都大学推理小説研究会に在籍
- 1988年『バースデイ・イブは眠れない』でデビュー
- 1993年『東亰異聞』 日本ファンタジーノベル大賞 最終候補
- 2013年『残穢』山本周五郎賞受賞
- 代表作『ゴーストハント』シリーズ
「十二国記」シリーズ
2021年に刊行30周年を迎えた「十二国記」シリーズは、今住んでいる世界と現実には存在しない異世界からなるファンタジー小説です。
異世界には十二の国があり、十二の「王」と十二の「麒麟」がいる。麒麟は天命により王を選び、王は国を治める。
それぞれの国で起こる問題や国同士の関わりをとおして、国とは何か、天命とは何か、人を信じるとは何か、生きるとは何か、さまざまなことを考えさせられる作品です。
「十二国記」シリーズは、おすすめのファンタジー小説として度々とりあげられ、長年多くの読者に愛されています。また、日本だけではなく、外国語に翻訳され海外でも広く読まれています。
2002年にはアニメ化され、アニメがきっかけで原作を読み始めたという方もいるのではないでしょうか。
これまでに15巻が刊行され、まだ完結していません(2023年現在)。
Episode 0 | 魔性の⼦(ましょうのこ) |
Episode 1 | ⽉の影 影の海(つきのかげ かげのうみ)〔上〕〔下〕 |
Episode 2 | 風の海 迷宮の岸(かぜのうみ めいきゅうのきし) |
Episode 3 | 東の海神 ⻄の滄海(ひがしのわだつみ にしのそうかい) |
Episode 4 | 風の万里 黎明の空(かぜのばんり れいめいのそら)〔上〕〔下〕 |
Episode 5 | 丕緒の⿃(ひしょのとり) * 短編集 |
Episode 6 | 図南の翼(となんのつばさ) |
Episode 7 | 華胥の幽夢(かしょのゆめ) * 短編集 |
Episode 8 | 黄昏の岸 暁の天(たそがれのきし あかつきのそら) |
Episode 9 | 白銀の墟 玄の月(しろがねのおか くろのつき) 〔第一巻〕〔第二巻〕〔第三巻〕〔第四巻〕 |
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